大政翼賛会

 

 

 


 

 

1940年10月12日、国会のほぼ全ての政党が解散して

新たな国民政党という名目で大政翼賛会が発足しました。

当時は日中戦争が始まって大本営が設置されて戦時体制にあり、

日中戦争が長期化してきたことから日本は戦争を勝つために本腰を入れ

議会政治も天皇中心に一丸になって取り組むという名目でしたが

これは全体主義を強め、軍国主義への道を決定的なものにしました。

 

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1928年に日本で初の普通選挙が行われました。

結果は政友会と民政党がともに過半数を取れずに議席を分け合い

僅かな小政党が議会の行方を占う形になりました。

国会では政友会と民政党が互いに批判しあって足を引っ張りあうようになり

法案や審議もなかなかまとまらず政治は混迷しました。

一方で世間では関東大震災の傷跡が残り、金融恐慌、昭和恐慌で

国内経済は疲弊しており国民の政治に対する不満が高まっている状態で

それは次第に国会や政治家に不満が向けられるようになりました。

 

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そんななか、1930年に満州事変が発生します。

日本が租借権をもっていた南満州鉄道の線路が爆破される事件が発生し、

満州に駐屯する日本軍(当時の関東軍)は中華民国の軍事的テロと断定し

日本政府が止めるのも聞かずに中国領内に軍を突入させて戦争が発生しました。

しかし南満州鉄道を爆破した実行犯は実は中国軍ではなく、

関東軍に所属していた石原莞爾、板垣征四郎らが画策した侵略工作でした。

中国の朝鮮に対する反撃として日本軍は満州に進出して次々と都市を制圧して進軍していき、

やがて満州を制圧して満州国という日本軍支配下の傀儡国を作ってしまいます。

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明らかな侵略であり国際的に強い非難を浴びて国際的孤立を深めましたが

国民は今までの政治や社会に対するフラストレーションを戦争に向けるようになり

日本軍の進撃と勝利に対して歓喜して戦争が深まっていくのをのを喜びました。

 

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日本軍が中国の侵略を進めるなか、

日本政府は日本軍の勝手な行動に手を焼いていました。

満州事変での日本軍の中国領内侵攻も満州国建国も政府は承認しておらず

政府の言うことも聞かずに勝手に戦争を始める行為に対して止めることが出来ません。

軍の行き過ぎた勝手な行動を強く非難して止めようとしていた犬養毅首相は暗殺され

暗殺の実行犯であった日本軍の青年将校は軍法会議に賭けられましたが

当時の政府に不満を持っていた国民は暗殺の実行犯である青年将校を擁護し

助命嘆願キャンペーンを開いて寛大な措置を要求し、

こうした世論によって暗殺の実行犯たちは軽い罪で済んでしまいます。

この一件で軍部は世論は我々の味方だと考えて更に政府に高圧的になり

後に2・26事件と呼ばれる軍による政府クーデターが発生します。

2.26事件では更に多くの閣僚が殺害され、

実力行使すれば政府など潰せることを世間に証明した軍部はより増長し

政府で歯止めが利かなくなって行き、軍に同調し追認せざるを得なくなります。

 

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1937年、中国の首都の南京が陥落。

日本が中国に勝ったと国民は歓喜に沸き立ち東京で大パレードが行われます。

しかし南京が陥落しても中国を支配していた国民政府は降伏せず、

中国国民政府の指導者であった蒋介石は南京を脱出して重慶に後退し

中国大陸の内陸で抵抗を続けます。

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南京が陥落すれば蒋介石は降伏して戦争は終わると思っていた日本軍は困惑し

追撃して降伏させようと進軍を続けますが、なかなか蒋介石は降伏しません。

次第に戦争は長期化し、戦費は増大し政府の財政を圧迫するようになっていき

このまま戦争を続けていくことが難しくなっていきます。

 

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1938年になると国家総動員法が国会で成立しました。

政府は戦争のために必要な物資や兵力確保のための人材などを

軍の思惑で自由に動かすことができるという法律です。

同時に新聞報道や出版でも政府が自由に制限することができるようになり、

軍の意向に反対したり異論を唱えたりといったメディアに対して

出版を禁止するなどの制裁を行うことで言論弾圧が強められました。

この時期から国内世論は戦争賛美一色になっていきます。

 

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そして1940年10月12日、戦争一色になった世論の後押しもあり

国会は日本共産党を除くほとんどの党が解散して

その代わりに天皇を中心に一丸になって軍と政府を支えるという意義から

大政翼賛会が結成され、後の衆議院選挙で議席をほぼ全てを独占します。

当時は一国一党、国家団結のスローガンで結成された大政翼賛会でしたが

これが結果的に大政翼賛会の上の日本政府、政府を牛耳る日本軍の独裁を完成させ

国家が戦争に向かって一直線に突き進む方針が決定的なものになりました。

 

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一国一党、国家一丸で戦争に取り組む方針は、一方で国民を戦争体制に組み込み

それは国民を戦争体制のもとで制限して縛り付けるものでもありました。

戦争に熱狂する世論の中で冷静な知識人は国家が戦争を止められなくなって

いわば暴走していることを見抜いていましたが、止める力はありませんでした。

 

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戦争への道に突き進んだ日本は戦線を拡大し、やがて太平洋戦争に突入。

1945年8月15日の降伏に至るまで戦争を続け、

日本軍、民間人含めて330万人の死者を出して日本は終戦を迎えました。

敗戦によって初めて国民は戦争への道が間違いであったことに気づきます。

このころには既に大政翼賛会は崩壊していました。

 

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昭和史を振り返り、太平洋戦争への道を調べていけばわかりますが
大政翼賛会の発足は日本が戦争への道に突き進んでいく一歩に過ぎず
既に戦争は止められなくなっていたと言うのが私の客観的な感想です。
しかしこうなるまでに戦争を止めて軌道修正する手段がなかったかと言えば
決してそんなことはなく、当時の昭和天皇は戦争の拡大には反対であり
日本が戦争へ突き進んでいくことを強く憂慮していました。
満州事変から日中戦争に至る連戦連勝で国全体が戦勝気分に浸ってしまい
軍も政府も国民も正常な判断が出来なくなっていたなかで
当時の日本のリーダーたちが正常な判断をして英断に踏み切ることが出来れば
太平洋戦争の悲劇を防ぐことはできたはずだと私は考えています。