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0しまむらくん3
3月26日はかつて硫黄島で日本軍がアメリカ軍と闘って全滅した日です。

1945年、太平洋戦争末期、日本軍は敗色が決定的になっていました。
太平洋戦線では日本軍は既にパプアニューギニア、南太平洋の島々で敗退。
防衛の要としていたフィリピンもアメリカ軍が首都マニラに進撃して陥落。
アジア戦線でもビルマが陥落して日本軍はタイに撤退。
中国戦線では一部の基地で中国軍に日本軍の守備隊が全滅して玉砕。
日本本土はアメリカ軍がサイパン島を占領したことから空襲が激化し、
本土の大都市や軍事基地などはB29による空爆で荒れ果てていました。

アメリカ軍はB29の中継基地として硫黄島に注目するようになり
日本軍は硫黄島で激戦を行ってアメリカ軍に少しでもダメージを与えるため
既に20000人の守備隊が配置されていました。


 

 

硫黄島守備隊の隊長、栗林中将は硫黄島守備隊長になる前に
大本営で参謀をしており、戦争の状況は知っていました。
ギルバート諸島やマーシャル諸島などの太平洋の島々の日本軍守備隊が
何の援軍もないまま全滅して行ったのを知っていた栗林中将は
硫黄島にアメリカ軍が攻めてきても援軍は期待できないことを覚悟していました。



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栗林中将は他の太平洋の島々の日本軍守備隊が採った
海岸線でアメリカ軍と戦う戦法では勝てないと考え、
硫黄島の地下にトンネルを作って地下陣地を作ろうとします。
アリの巣のように地下陣地を張り巡らせて、地上の小さい穴から
敵を攻撃する戦法を取れば、アメリカ軍は攻めにくいだろうと考えました。


栗林中将が着任した1944年6月からトンネルづくりが始まりました。
しかし硫黄島は火山島で地中を掘ればすぐにマグマに熱せられた
硫黄の混じった熱水が吹き出す土地で、真夏ということもあり
トンネルを掘る作業は過酷を極めました。
硫黄が混じったガスと熱水、亜熱帯の気候で穴の中は40℃にも達し
掘っているうちに熱中症で倒れてしまう兵士が続出しました。
しかも硫黄島には川がなく、水も雨水でしか手に入らないため水は貴重品。
ロクに水分補給することもできず、過酷な環境でトンネル掘りは進められました。
それでも1945年になることには島を張り巡らすようなトンネルが完成します。


 


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1945年2月19、アメリカ軍が硫黄島の南東から攻めてきます。
当初、アメリカ軍は猛烈な艦砲射撃と空爆で島を爆撃。
地形が変わるほどの激しい爆撃でしたが陣地の位置が見当たらなかったため
狙いが定まらないままメチャクチャに爆撃した見当ハズレの爆撃になり
地下深くに張り巡らされた無数の穴とトンネルはほとんど無傷でした。
 

 

 

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『さすがにあれほど爆撃すれば日本軍は壊滅しているだろう』
そう見込んだアメリカ軍は硫黄東南東の海岸から海兵隊が上陸。
すると上陸と同時に日本軍の一斉攻撃が始まりアメリカ軍は不意を突かれます。


 



思わぬ猛反撃でアメリカ軍の陸上部隊からは多数の死傷者が出ます。
アメリカの爆撃機は日本軍の陣地を爆撃しようとしますが
日本軍のトンネルの入り口は上空の爆撃機では判別ができません。
有効な攻撃をする手段が見当たらないまま戦闘が続き、
アメリカ軍の上陸部隊は思いもよらぬ損害が出ます。

このまま戦っては被害が増えるだけと考えたアメリカ軍は戦力を南西に振り向けます。
硫黄島南端の摺鉢山を占領して陣地を作り、地上戦を行う作戦に切り替えました。
アメリカ軍は日本軍の猛烈な抵抗に遭いながらも2月23日に摺鉢山を占領します。


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摺鉢山を占領するとアメリカ軍は南端から陸上部隊を一斉に上陸させます。
戦車、火炎放射器などの重火器を大量に陸揚げし、反撃が開始されます。

 

 

アメリカ軍は日本軍のトンネル作戦を理解すると、トンネルを潰す作戦に出ます。
トンネルの中にガソリンを流し込んで火炎放射器で放火したり、
トンネルの入り口めがけて砲撃を行って内部を崩落させてトンネルを潰すなど
とにかくトンネルを潰して日本軍が戦えないようにしました。
トンネルの中では日本軍は阿鼻叫喚の騒ぎになっていました。
ガソリンが流し込まれて火を付けられるとトンネル内は火の海となり
炎と酸素欠乏でもがき苦しみ、砲撃でトンネルが崩落し生き埋めになりました。
 

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もはやトンネルで戦えなくなった日本軍はトンネルを出て地上戦に出ますが
既に大半の戦力を陸揚げ済みのアメリカ軍に日本軍の戦力では不利でした。
それでも日本軍は逃げ出さずに果敢に攻め込み、アメリカ軍を苦しめます。
そして3月26日、栗林中将は大本営に全滅を知らせる電報を打つと
最後の突撃を命令し、突撃した兵士たちと一緒に戦死しました。
 
 

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硫黄島の戦闘はアメリカ軍に予想を超える被害を出しました。
戦死者は6800人、戦傷者は20000人を超え、
死傷者と合わせると日本軍を上回る損害が出ました。
日本軍は戦死者18000人にものぼり、ほぼ全滅しました。
生き残った1000人がアメリカ軍の捕虜になって助けられています。


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この戦闘でアメリカ軍はB29の中継基地を手に入れて爆撃がしやすくなり
日本本土への爆撃はさらに激化し、終戦への終止符が打たれることになります。