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1917年3月11日、旧暦で2月26日、
第1次世界大戦中のロシアで市民革命が勃発しました。

3月8日に首都ペトログラードで最初に行われた食糧要求デモは
比較的穏健なデモでしたが、3月11日になると
デモの規模は肥大化してデモ民衆は不満をぶちまけるようになり

皇帝を筆頭に専制政治に対する挑発的で過激な抗議を主張するデモになります。

ついに軍はデモ隊に向けて実弾を発砲してデモ隊に死傷者が出ます。

しかし次第に軍の治安部隊はデモ隊側に寝返り、軍が反乱を起こすようになり

最終的にペトログラードの治安部隊が完全にデモ側について軍の反乱に発展し

これがロシア2月革命の発端となります。

 

 

どうして革命が起きたのか

 

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20世紀初頭のロシア市民は皇帝の専制政治への不満が蓄積していました。

帝政下のロシアでは皇帝と周囲の貴族が全ての利権を独占し、市民は低賃金労働者。

大半のロシア国民は貴族が所有する領地で農業を行い
農産品の税を納める農奴であり

19世紀に農奴解放例が出されたものの、これは名ばかりの解放令で

実質的には農奴の身分は変わらないまま、
貴族に農産品税を搾取される立場でした。


 

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こうした圧政と貧困に対して民衆は

『ロシア皇帝なら我々民衆の苦しみを理解してくれる』

と言う皇帝に対する信頼を持っていましたが

1905年に民主化と食糧配給を皇帝に求めるデモを行った際に

ロシア軍が丸腰の民衆に実弾をブッ放して1000人以上の死傷者を出す

『血の日曜日事件』を起こしてから民衆は皇帝に失望するようになり

その後にニコライ2世ら皇帝一家がラスプーチンに心酔するようになると

皇帝への失望は軽蔑に変化していき、風刺絵が世間にバラまかれるなど

皇帝に対する民衆の心が徐々に離れていきました。


 

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1914年、第1次世界対戦が勃発すると
ロシアはドイツ、オーストリアに宣戦布告して参戦、

ロシア皇帝ニコライ2世はロシア軍に膨大な軍事費を投入し
ロシアの財政と経済を疲弊させます。

ロシア国内は物資、特に食糧不足が深刻になり、
パンの価格が5倍、バターは8倍にまで高騰し

貧しいロシアの民衆は日々の食糧さえも購入することができなくなります。

 
 

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そんな窮状を訴えるために
1917年3月8日のペトログラードで食糧デモが行われました。

3月8日から3月10日までは比較的穏健に行われたデモ行進に過ぎませんでしたが

そのデモの規模は数万人に膨れ上がり、
ペトログラード市内の各地でストライキが発生。

都市機能が麻痺してデモの空気は一気に強くなり、

3月11日にはペトログラードの市民、
特に労働者の大半がデモに参加するようになりました。

膨れ上がったデモ隊は当初は比較的穏健であったのが
徐々に過激な批判になって行きロシア皇帝ニコライ2世、
警察、軍などへの不満をぶちまける内容に変化していき

治安維持のためにデモを見張っていた軍隊に対して
挑発的、嘲笑的な態度を取るようになり

ロシア軍の治安部隊はデモ隊に対し銃をブッ放して鎮圧に乗り出します。

しかし窮状は治安部隊も同じことで、
徴兵された下っ端ロシア兵もまた窮乏に苦しんでいました。

次第に治安部隊はデモ側に寝返って同調するようになり、
皇帝に不満を露わにして行きます。

やがてロシア軍が皇帝に反旗を翻して反乱を起こすと
皇帝ニコライ2世は追い詰められ帝政が立ち行かなくなり、
間もなく退位に追い込まれてロマノフ王朝は崩壊します。

この2月革命はロシア帝政を終焉に持って行った
一大市民革命として歴史に残っています。