no title

 
 
 
1:2013/05/06(月) 17:02:07.60 ID:
僕は大奥大乱交でできてしまった子を将軍の子供ということに
したと思う。
81:2014/12/31(水) 17:06:17.62 ID:
>>1
中国でも北宋の徽宗が八十人、
清の康熙帝が五十五人も子女を残したといわれている
から不可能ではないな。
84:2015/07/22(水) 16:29:38.00 ID:
>>1
日本で子沢山といえば蓮如がいるだろ。
91:2015/12/19(土) 05:09:19.85 ID:
>>84
蓮如は27人ばかりの子がいる。

数だけなら家斉に及ばないわけだが、
27人全員が正妻との子という点が特筆モノ。
93:2015/12/19(土) 18:16:12.30 ID:
>>91
それはすごいな
マリア・テレジア越えか、蓮如の妻
2:2013/05/06(月) 22:10:06.99 ID:
紀州斉彊って影薄いけど、字も絵も上手い芸術家肌だったんだね。
2男3女全員早世だし可哀想
12:2013/05/18(土) 00:30:43.93 ID:
>>2 徳川龍千代、辰次郎等斉彊の子の生没年を教えてください
13:2013/05/18(土) 00:50:43.55 ID:
>>12
母:南条氏
延姫   天保12年10月6日生~天保13年6月8日卒
龍千代 天保13年9月21日生~天保14年6月7日卒
鈎姫   天保14年2月16日生~天保15年8月20日卒
鎤姫   弘化3年5月5日生~弘化4年5月5日卒
秋姫   弘化4年7月23日生~嘉永5年閏2月16日卒

母:斎藤氏
辰次郎 弘化4年11月6日生~弘化5年10月2日卒
清涼院 嘉永2年5月25日流産
15:2013/05/18(土) 16:07:04.78 ID:
>>13 詳しくありがとうございました!
58:2014/11/24(月) 10:13:35.10 ID:
>>2
紀州藩を継いだ家斉の息子たちは、兄の斉順といい斉彊といい、
比較的長生きしたほうだよ。
斉順は40代まで生きてるから江戸時代の大名としては普通だし、
斉彊も30くらいまで生きてた。

現代人から見ても普通に生きられたといえるのは家慶と斉民くらいだが。
4:2013/05/08(水) 18:31:16.66 ID:
>>4
それは伝説

一応認知した子は4人の女性たちとの間に7人
妻との間に2人
妻を娶る前に別の女性2人を妊娠させ結婚せずに産ませた子が2人
妻を娶った後に愛人に産ませた子が3人
5:2013/05/08(水) 20:28:57.46 ID:
家斉が異常に子供を作ったため、幕府の財政が傾いた。
幕府滅亡の遠因は家斉にあり。
8:2013/05/15(水) 20:05:42.94 ID:
城戸光政に比べたらかわいいもんだ
9:2013/05/16(木) 22:49:12.82 ID:
家慶も子ども30人くらいいたはずだが、この2人の子供達の早世率はいくらなんでもおかしすぎる。。。
11:2013/05/17(金) 23:10:43.54 ID:
>>9 家斉の子供の早世率は当時の平均的な数字だと思うが、家慶は異常だね。
ただ家慶は死の年まで子供作ってたから家斉より絶倫だったかも
28:2013/10/07(月) 13:29:11.99 ID:
>>11
>家慶は死の年まで子供作ってたから家斉より絶倫だったかも

最後に子が出来たのは家斉54歳、家慶59歳の時だからそんな変わらなくないか。
何かの切っ掛けで急死は昔なら珍しくないし。
勃起不全は50歳で25%、60歳で75%らしいから、その意味では60代で子を3人も作った家康の方が凄いな
29:2013/10/07(月) 13:39:18.54 ID:
>>28
>60代で子を3人も作った家康

家康満59歳の時生まれた頼宣、満60歳の時生まれた頼房は
現代で言えば種付け時点で50代のときの子だろう。
満年齢でいっても60代の子と思われるのは市姫一人だけだが。
しかし市姫の母お梶は一時期別の男に嫁しているため
市姫が誰の種かは疑う向きもあるんだよね。
20:2013/09/28(土) 02:01:10.73 ID:
>>9
家斉のは当時としてはまぁ普通。家慶のは異常
10:2013/05/17(金) 00:49:32.82 ID:
城戸なんて旗本がいたっけと思ってググっちゃったよ
14:2013/05/18(土) 10:07:41.15 ID:
家斉の孫世代も早世率が高いような…
16:2013/05/26(日) 02:06:50.30 ID:
家慶の長男は正室との間に出来た子で名前は竹千代
この子が育ってれば江戸城も活気が出ただろうなあ
17:2013/05/28(火) 07:18:55.02 ID:
家光はずばり、家康と春日のつぼねの子!
18:2013/05/29(水) 00:46:14.06 ID:
阿波の蜂須賀だって家齊の子が養子で入ったから
野武士の小六の子孫じゃないんだよな?
 
21:2013/09/28(土) 02:04:41.35 ID:
正室:近衛寔子(広大院) - 島津重豪の娘、近衛経熙の養女 五男:敦之助(1796年 - 1799年) 清水徳川家当主・徳川重好の養子

側室:お万の方(契真院) - 平塚為喜の娘 長女:淑姫(1789年 - 1817年) 尾張徳川家当主・徳川斉朝に嫁ぐ
次女:瓊岸院(1790年)
長男:竹千代(1792年 - 1793年)
三女:綾姫(1795年 - 1797年) 仙台藩主・伊達周宗と婚約

側室:お楽の方(香琳院) - 押田勝敏の娘 次男:家慶(1793年 - 1853年) 第12代将軍

側室:お梅の方(真性院) - 水野忠芳の娘 三男:端正院(1794年)

側室:お歌の方(宝池院) - 水野忠直の娘 四男:敬之助(1795年 - 1797年) 尾張徳川家当主徳川宗睦の養子
六男:豊三郎(1798年)
六女:五百姫(1799年 - 1800年)
九女:舒姫(1802年 - 1803年)

側室:お志賀の方(慧明院) - 能勢頼能の娘 四女:総姫(1796年 - 1797年)

側室:お里尾の方(超操院) - 朝比奈矩春の娘 五女:格姫(1798年 - 1799年)

側室:お登勢の方(妙操院) - 梶勝俊の娘 七女:峰姫(1800年 - 1853年) 水戸徳川家当主・徳川斉脩に嫁ぐ
七男:斉順(1801年 - 1846年) 清水徳川家、後に紀州徳川家当主・徳川治寶の養子
十女:寿姫(1803年 - 1804年)
十二女:晴姫(1805年 - 1807年)
22:2013/09/28(土) 02:10:19.71 ID:
側室:お蝶の方(速成院) - 曽根重辰の娘 八女:亨姫(1801年 - 1802年)
八男:時之助(1803年 - 1805年)
九男:虎千代(1806年 - 1810年) 紀州徳川家・徳川治寶の養子
十男:友松(1809-1813)
十二男:斉荘(1810年 - 1845年) 田安徳川家・徳川斉匡の養子、後に尾張徳川家当主・徳川斉温の養子
十九女:和姫(1813年 - 1830年) 長州藩主・毛利斉広に嫁ぐ
十六男:久五郎(1815年 - 1817年)

側室:お美尾の方(芳心院、? - 文化5年閏6月7日(1808年7月29日)) - 木村重勇の娘。名は八十、筆などとも。以下の子の他に最初の子を死産している。 十一女:浅姫(1803年 - 1843年) 福井藩主松平斉承に嫁ぐ

側室:お屋知の方(清昇院) - 大岩盛英の娘、諸星信邦の養女 十三女:高姫(1806年)
十五女:元姫(1808年 - 1821年) 会津藩・松平容衆に嫁ぐ

側室:お袖の方(本性院) - 吉江政福の娘 十四女:岸姫(1807年 - 1811年)
十六女:文姫(1809年 - 1837年) 高松藩主・松平頼胤に嫁ぐ
十七女:艶姫(1811年)
二十女:孝姫(1813年 - 1814年)
十八男:陽七郎(1818年 - 1821年)
二十一男:斉彊(1820年 - 1849年) 清水徳川家、後に紀州徳川家当主・徳川斉順の養子
二十四男:富八郎(1822年 - 1823年)

側室:お八重の方(皆春院) - 牧野忠克の娘、土屋知光の養女 十一男:斉明(1809年 - 1827年) 清水徳川家の養子
十八女:盛姫(1811年 - 1846年) 佐賀藩主・鍋島直正に嫁ぐ
十三男:斉衆(1812年 - 1826年) 鳥取藩主・池田斉稷の養子
十五男:斉民(1814年 - 1891年) 津山藩主・松平斉孝の養子
十七男:信之進(1817年)
二十五女:喜代姫(1818年 - 1868年) 姫路藩主・酒井忠学に嫁ぐ
二十男:斉良(1819年 - 1839年) 浜田藩主・松平斉厚の養子
二十三男:斉裕(1821年 - 1868年) 徳島藩主・蜂須賀斉昌の養子
23:2013/09/28(土) 02:12:50.23 ID:
側室:お美代の方(専行院) - 内藤就相の娘、中野清茂の養女 二十一女:溶姫(1813年 - 1868年) 加賀藩主・前田斉泰に嫁ぐ
二十三女:仲姫(1815年 - 1817年)
二十四女:末姫(1817年 - 1872年) 広島藩主・浅野斉粛に嫁ぐ

側室:お八百の方(智照院) - 阿部正芳の娘 十四男:奥五郎(1813年 - 1814年)

側室:お以登の方(本輪院) - 高木広允の娘 二十二女:琴姫(1815年 - 1816年)
二十六女:永姫(1819年 - 1875年) 一橋徳川家当主・徳川斉位に嫁ぐ
二十二男:斉善(1820年 - 1838年) 福井藩主・松平斉承の養子
二十五男:斉省(1823年 - 1841年) 川越藩主・松平斉典の養子
二十六男:斉宣(1825年 - 1844年) 明石藩主・松平斉韶の養子

側室:お瑠璃の方(青蓮院) - 戸田政方の娘 十九男:斉温(1819年 - 1839年) 尾張徳川家当主・徳川斉朝養子
二十七女:泰姫(1827年 - 1843年) 鳥取藩主・池田斉訓に嫁ぐ

猶子 尊超入道親王(1802年 - 1852年) 有栖川宮織仁親王第8皇子


この他、生まれる前に流産した子女も4人いる。
24:2013/10/02(水) 10:51:05.93 ID:
・正室:近衛寔子(広大院)
五男:敦之助(1796年 - 1799年) 清水徳川家当主・徳川重好の養子
・側室:お万の方(契真院)
長女:淑姫(1789年 - 1817年) 尾張徳川家当主・徳川斉朝に嫁ぐ
次女:瓊岸院(1790年)
長男:竹千代(1792年 - 1793年)
三女:綾姫(1795年 - 1797年) 仙台藩主・伊達周宗と婚約
・側室:お楽の方(香琳院)
次男:家慶(1793年 - 1853年) 第12代将軍
・側室:お梅の方(真性院)
三男:端正院(1794年)
・側室:お歌の方(宝池院)
四男:敬之助(1795年 - 1797年) 尾張徳川家当主徳川宗睦の養子
六男:豊三郎(1798年)
六女:五百姫(1799年 - 1800年)
九女:舒姫(1802年 - 1803年)
・側室:お志賀の方(慧明院)
四女:総姫(1796年 - 1797年)
・側室:お里尾の方(超操院)
五女:格姫(1798年 - 1799年)
・側室:お登勢の方(妙操院)
七女:峰姫(1800年 - 1853年) 水戸徳川家当主・徳川斉脩に嫁ぐ
七男:斉順(1801年 - 1846年) 清水徳川家、後に紀州徳川家当主・徳川治寶の養子
十女:寿姫(1803年 - 1804年)
十二女:晴姫(1805年 - 1807年)
25:2013/10/02(水) 10:54:08.46 ID:
・側室:お蝶の方(速成院)
八女:亨姫(1801年 - 1802年)
八男:時之助(1803年 - 1805年)
九男:虎千代(1806年 - 1810年) 紀州徳川家・徳川治寶の養子
十男:友松(1809-1813)
十二男:斉荘(1810年 - 1845年) 田安徳川家・徳川斉匡の養子、後に尾張徳川家当主・徳川斉温の養子
十九女:和姫(1813年 - 1830年) 長州藩主・毛利斉広に嫁ぐ
十六男:久五郎(1815年 - 1817年)
・側室:お美尾の方(芳心院、? - 文化5年閏6月7日(1808年7月29日)) 以下の子の他に最初の子を死産している
十一女:浅姫(1803年 - 1843年) 福井藩主松平斉承に嫁ぐ
・側室:お屋知の方(清昇院)
十三女:高姫(1806年)
十五女:元姫(1808年 - 1821年) 会津藩・松平容衆に嫁ぐ
・側室:お袖の方(本性院)
十四女:岸姫(1807年 - 1811年)
十六女:文姫(1809年 - 1837年) 高松藩主・松平頼胤に嫁ぐ
十七女:艶姫(1811年)
二十女:孝姫(1813年 - 1814年)
十八男:陽七郎(1818年 - 1821年)
二十一男:斉彊(1820年 - 1849年) 清水徳川家、後に紀州徳川家当主・徳川斉順の養子
二十四男:富八郎(1822年 - 1823年)
・側室:お八重の方(皆春院)
十一男:斉明(1809年 - 1827年) 清水徳川家の養子
十八女:盛姫(1811年 - 1846年) 佐賀藩主・鍋島直正に嫁ぐ
十三男:斉衆(1812年 - 1826年) 鳥取藩主・池田斉稷の養子
十五男:斉民(1814年 - 1891年) 津山藩主・松平斉孝の養子
十七男:信之進(1817年)
二十五女:喜代姫(1818年 - 1868年) 姫路藩主・酒井忠学に嫁ぐ
二十男:斉良(1819年 - 1839年) 浜田藩主・松平斉厚の養子
二十三男:斉裕(1821年 - 1868年) 徳島藩主・蜂須賀斉昌の養子
26:2013/10/02(水) 10:56:04.86 ID:
・側室:お美代の方(専行院)
二十一女:溶姫(1813年 - 1868年) 加賀藩主・前田斉泰に嫁ぐ
二十三女:仲姫(1815年 - 1817年)
二十四女:末姫(1817年 - 1872年) 広島藩主・浅野斉粛に嫁ぐ
・側室:お八百の方(智照院)
十四男:奥五郎(1813年 - 1814年)
・側室:お以登の方(本輪院)
二十二女:琴姫(1815年 - 1816年)
二十六女:永姫(1819年 - 1875年) 一橋徳川家当主・徳川斉位に嫁ぐ
二十二男:斉善(1820年 - 1838年) 福井藩主・松平斉承の養子
二十五男:斉省(1823年 - 1841年) 川越藩主・松平斉典の養子
二十六男:斉宣(1825年 - 1844年) 明石藩主・松平斉韶の養子
・側室:お瑠璃の方(青蓮院)
十九男:斉温(1819年 - 1839年) 尾張徳川家当主・徳川斉朝養子
二十七女:泰姫(1827年 - 1843年) 鳥取藩主・池田斉訓に嫁ぐ

この他、生まれる前に流産した子女も4人いる。
30:2013/10/07(月) 19:10:36.17 ID:
家康はお手製の漢方薬でドーピングしてそうだ
31:2013/10/09(水) 01:54:48.00 ID:
大坂の陣まで側室数名を連れてたって事は
少なくとも72までは現役だったんだろうな
33:2013/10/09(水) 09:46:06.13 ID:
>>31
家康が大坂の役に連れて行き淀殿との和平工作も行わせた
側室の阿茶局(雲光院)は、大坂冬の陣時点で60歳だぞ(夏の陣では61歳)
エロ目的で連れて行ったのかは不明
32:2013/10/09(水) 02:18:06.97 ID:
オットセイのおかげ
34:2013/10/19(土) 19:49:39.44 ID:
命中率が3%として一日5回なら確率的には年に53人生まれる計算じゃね?
36:2014/01/30(木) 13:27:54.19 ID:
年がら年中やってれば普通に作れるだろ
しかも相手は若い女なんだし
37:2014/01/30(木) 20:14:51.65 ID:
年柄年中ってのが普通には出来ないものなんだよ童貞くん
オナニーとは体力の消耗が違うからね
38:2014/01/30(木) 21:43:08.75 ID:
そりゃオマエがヘタレなだけ
老人でもない限り平均して月60回くらいは何の支障も無く可能
39:2014/01/31(金) 18:21:04.04 ID:
早世の原因を取り除いた
鉛白禁止、毒殺厳禁、自然食肉食万歳、母乳礼賛とか
政策がその時だけ特別というか
なんか大奥総取締とかがキーマンこ。
41:2014/02/02(日) 11:43:02.36 ID:
>>39
家斉の子供自体は50数人生まれているが
そのうち半分は幼児のうちに死んでいるから
そのときだけ影響がなかったとは言えない
40:2014/01/31(金) 18:25:23.18 ID:
>老人でもない限り平均して月60回くらいは何の支障も無く可能

若い頃の名補佐役がなくなるとそんな感じかもね。この将軍みたいに。

補佐役側も、血統はグダグダだけどね。
85:2015/11/06(金) 16:36:20.52 ID:
>>40
むしろ定信に厳しい節制を強要された結果、反動であの放蕩だろう
定信解任後に量産が始まる
43:2014/02/03(月) 13:53:56.90 ID:
2、3代後に余所から引っ張り出す事になるんだからホント大奥って糞の役にもたたねぇ
44:2014/02/06(木) 17:37:43.19 ID:
こんだけいたら、どれが誰かわからん気がするw
ああ、母とセットでしか会わんのかな。
45:2014/02/20(木) 17:40:21.60 ID:
十何人も側室がいて53人というのは意外とできないんだなーて、って思った。
マリア・テレジアは一人で16人も生んでいるのからするとさ。
46:2014/02/20(木) 23:20:52.64 ID:
マリアてれじあなんて何人の男の子供かわからないだろ
49:2014/11/19(水) 18:49:16.51 ID:
徳川史上空前の賄賂王と言われた老中 水野忠成が活躍したのってこの頃か

具体的にどんな事したんだ?
50:2014/11/19(水) 19:52:01.78 ID:
50年以上も将軍やってて
53人は少な過ぎる。
隠し子、御落胤がもっといるんじゃないか
51:2014/11/19(水) 20:20:25.75 ID:
>>50
将軍は基本的に江戸城外へ出れないから
(出れるのは年に一回の菩提寺詣でだけ。それも日帰り)
それはないよ
52:2014/11/20(木) 08:12:57.63 ID:
秀忠と江は7人も子供作ってるんだな
一人の相手に絞るとは家康からしたら変な息子だろうな
53:2014/11/20(木) 10:02:54.14 ID:
>>52
家康も若い頃は正室の築山殿一人だった時期もある
家康自身の今川裏切りによって築山殿の両親が殺害されると
自由になって側室持ち出したが築山殿存命中は
そこまで女性関係が派手でもなかった(小大名だったせいもあるだろうが)

家康が好色爺になるのは天下を目指しだした50代後半以降だろう
正直秀忠に男子が誕生しなくても秀忠には家康が晩年こしらえて
秀忠の長女千姫よりも年下の異母弟たちがたくさんいたから
54:2014/11/20(木) 14:12:27.39 ID:
>>52
江が怖かったから、と言われているが、世の中には大してセクロス好きじゃない男も居るからね。
55:2014/11/20(木) 15:41:57.23 ID:
江戸幕府の将軍は15人中3人子供が一人もいないから
家康や家斉は絶倫でも常時女500人を囲っている大奥持ってても
病弱なのも絶倫でないのもいた
56:2014/11/21(金) 07:36:50.92 ID:
家継も既に筆おろしされてたんだろうな。
60:2014/11/25(火) 06:40:12.97 ID:
>>56
享年が満で7歳だろ? 絶対無理。そもそも性欲が無い。
57:2014/11/22(土) 22:30:20.06 ID:
水銀や砒素をブレンドした殺人白粉の中でまともな子供が育つわけない。
徳川将軍で健康だったの
初期の家康~家光以外は
吉宗といい家斉といい慶喜といい、よそからきた連中ばっかり。
59:2014/11/24(月) 10:21:02.01 ID:
お前らの興味ってそんなとこか?
61:2014/11/25(火) 14:33:39.05 ID:
徳川将軍色々
絶倫系
・徳川家康…正室2人、側室19人(一夜限りはもっといたはず)、子供16人(認知した分)
・徳川家斉…正室1人、側室16人(子を産んだお部屋さま、お腹さまのみ。手を付けた御中臈はこの倍とも)子供53人

ホモ系
・徳川家光…男しか愛せないホモ。33歳で急に絶倫系に。

種が虚弱系
・徳川家綱…正室1人、2人の側室が一度ずつ妊娠したが、1人は死産、1人は流産。
・徳川綱吉…正室1人、側室3人がいたが懐妊したのは伝一人だけ。子は男女2人で男子は早世、女子は嫁入り後流産して死亡

種無し系
・徳川家定…正室3人、側室1人いたが大奥にあまり泊まらず35歳で没するまで子供はいなかった。
・徳川家茂…正室1人。御中臈にも手を付けていたとされるが21歳で没するまで子供はいない。

夭折系
・徳川家継…内親王と婚約していたが輿入れ前に8歳で死亡。
63:2014/11/26(水) 10:19:23.09 ID:
>>61
家康は用心深いから、暗殺や病気を恐れて、一夜限りはあまりないんじゃないか。そのために戦場に側室連れていったりしてた。
64:2014/11/26(水) 17:31:02.22 ID:
>>63
秀忠の陣中に女(遊女)を送り届けてやったら秀忠が丁寧に断ったので
大笑いしたという話があるから家康はやりまくっているだろう
病気を恐れるなら側室は処女に限っただろうに
家康は不思議と後家ばかり城に連れ込んでいたし

あと家康が側室を戦場に連れて行ったのは最晩年の大坂の役だけだよ
家康自身70歳、それに御年61歳の阿茶局まで連れて行っているからエロ目的だったかは疑問
(阿茶局は大坂冬の陣の和睦交渉役を務めている)
66:2014/11/26(水) 19:40:09.39 ID:
>>64
側室と言っても、性的奉仕もする秘書だったんじゃないか。
婆さんなんかは完全に側近だよね。
68:2014/11/26(水) 19:53:20.80 ID:
>>64
阿茶局は、小牧長久手の陣中に同行したが無理がたたって流産してる。
まあ、大阪の陣では秘書兼交渉役だったろうが。
71:2014/12/01(月) 05:39:50.77 ID:
>>64
戦場に側室連れて行くって一般的な話なの?
72:2014/12/01(月) 08:33:27.73 ID:
>>71
一般的ではない
織田信長など多くの武将は小姓に相手させるなど男色で代用したからね

ただ戦国末期、大大名が大きな陣や城を構えて籠城する敵を攻略するとなると
長期戦になる上ある程度の安全が保たれるために側室を呼ぶ者もいた
74:2014/12/01(月) 23:59:19.74 ID:
>>72
俺だったら女武者連れて行って夜の相手もさせるけどなw
78:2014/12/02(火) 07:51:45.69 ID:
>>74
危険の多い戦場に女を連れていくのは難しいよ
万が一自分が負けたりすれば自分の側室が敵兵に犯されに行くようなものだからね

平家物語の巴みたいに素手で男の首をねじ切る女は物語だけの話
普通の女は男に比べて体も小さく力も弱い
82:2015/02/25(水) 00:38:29.63 ID:
>>64
後家をよく選んだ理由は、出産経験者は妊娠しやすい&流産しにくいから。
産む機械として優秀だから。
89:2015/12/07(月) 13:44:20.93 ID:
>>82
後家は若くない分、出産のリスクも大きいけどね
阿茶局は先夫との子供は問題なく産めたけど
家康との子供は流産してその後妊娠することはなかった
家康の晩年の側室万(徳川頼宣・頼房母)などは処女のまま
10代半ばで60歳近い家康の側室になった
65:2014/11/26(水) 19:24:01.60 ID:
そんな家康さんが唯一愛した漢が井伊直政
69:2014/11/29(土) 14:22:56.31 ID:
家斉は、個人としても公人としても幸せな人生だったんだろうと思う。
せめて、あと30年生きていてくれたら、徳川幕府は滅びずにすんだ。
70:2014/11/29(土) 17:08:14.97 ID:
家斉は69歳まで生きただろ
あと30年生きても呆け老人になるだけだ

本人は政治を老中たちに丸投げだったから
大政奉還しろといわれればあっさりやりそうだ
しかし大奥だけは手放したくないなら難しい
慶喜みたいに側室2人程度で我慢してもらうしか
96:2015/12/22(火) 01:38:54.60 ID:
逆にいうと、歴代将軍の月命日は大奥に入れず、1日1人まで、常に4~5人並行してる状況下で
家斉の命中率の高さは際立つ
98:2015/12/22(火) 17:06:14.45 ID:
>>96
家斉は16歳から54歳までの38年間に53人だから
一年間に妊娠させた側室の数は2人以下だよ(側室は常に同時期に4~5人がスタンバイ)

一番多くの側室が子供を産んだ1819年でも3人だから
102:2015/12/23(水) 00:52:14.07 ID:
>>98
いや、1年で3人産ませたのは1803年、1809年、1815年、1819年。
1813年には4人産ませてる。

3年連続で産んでるのは八重だけだから、産後の肥立ちで今で言う出産休暇みたいなものは数カ月は有ったんだろうな。
126:2015/12/30(水) 23:25:08.46 ID:
徳川幕府を財政難に陥らせたバカ殿様
127:2015/12/31(木) 06:37:12.78 ID:
>>126
それはなんともなぁ。
大正天皇が4人の皇子を儲けて
「これ以上皇族が増えては皇室財政が破綻する」というのが
関係者が大正天皇に側室を勧めなかった理由の一つというし。
実際、このころは伏見宮系宮家も嫡子以外は臣籍降下させられていたし。
結果、現在に至って皇族不足に苦しむと。
130:2016/01/03(日) 08:34:46.78 ID:
>>127
大正天皇の時代は一定数の皇族男子が確保できていたから側室は要らなかったが、現在の皇室は男子が不足し過ぎているので側室制度は作るべきと思うw
前途の家斉の場合は子供を無駄に作り過ぎてしまったせいで、他大名家と養子縁組を組む儀式
に金が掛かり過ぎたのが財政難に影響した。
132:2016/01/03(日) 09:57:27.90 ID:
>>130 民法744条の重婚禁止条項に違反しないか?
135:2016/01/03(日) 13:17:05.86 ID:
>>132
天皇は法に縛られてないじゃん?
職業選択の自由、参政権すらないんだから
136:2016/01/04(月) 05:08:23.54 ID:
>>132
そもそも重婚(=皇后を複数置く)ではなく、
側室(≒愛人)を持つかどうかの話だろ。
140:2016/01/05(火) 19:19:45.50 ID:
>>136
昔は皇后になれるのは皇族か摂家の息女に限られていて
それ以外の側室とは明確な身分差があった
しかし現在は皇后といえども一般人
側室制度を復活させるのは同意が得られない
133:2016/01/03(日) 10:58:27.35 ID:
>>130
側室はお前が全責任のもとお前のポケットマネーで養うんだよな?
天皇の大勢の側室たちのために納税するのは国民は嫌だわ
134:2016/01/03(日) 11:03:08.51 ID:
つうか、普通に嫁とやりゃいいだけだろ。
嫁とやらないのに側室とならやるのか?