no title

 
 
 
1:2015/03/22(日) 01:43:28.64 ID:
青酸カリ盛られた飯を全部食べた後に
背後から頭蓋骨が砕けるまで殴られて
反撃したら大型拳銃で計4発撃たれて
倒れたところに殴る蹴るの暴行されて
窓から下の道路に放り投げられて
絨毯で巻かれて冬の川に落とされて

溺死
13:2015/03/22(日) 01:47:18.46 ID:
>>1
化け物じゃないか
青酸カリって即死やぞ
2:2015/03/22(日) 01:44:00.61 ID:
冬の川最強
3:2015/03/22(日) 01:44:03.77 ID:
しゃーない
4:2015/03/22(日) 01:44:33.81 ID:
ちんこ切り取られたんやっけ
7:2015/03/22(日) 01:45:22.12 ID:
>>4
33cmらしい
10:2015/03/22(日) 01:46:16.91 ID:
>>7
ち~ん(笑)
8:2015/03/22(日) 01:45:38.69 ID:
ちんこがキンチョールくらいあったらしいな
9:2015/03/22(日) 01:45:44.54 ID:
これ殺したやつの証言?
信憑性に欠けへんか
11:2015/03/22(日) 01:46:37.62 ID:
勃起してなくて33なんか?
12:2015/03/22(日) 01:46:50.26 ID:
よっぽど怖かったんやろな
14:2015/03/22(日) 01:47:34.50 ID:
こいつって結局何やったんやろ?
19:2015/03/22(日) 01:49:21.67 ID:
>>14
超人の類やろ
デカくて毒が回りにくい
青酸カリで即死はせえへん青酸カリ飲んでから長々遺書書いて死んだ奴もおる
16:2015/03/22(日) 01:47:59.53 ID:
ラスプーチンて聞くとシャドハ2のイメージ
17:2015/03/22(日) 01:48:40.39 ID:
ラスプーチン聞くとコナンの世紀末思い出すわ
20:2015/03/22(日) 01:49:30.48 ID:
なおゴルゴ13の祖父
23:2015/03/22(日) 01:49:47.52 ID:
怪僧やぞ
24:2015/03/22(日) 01:49:55.49 ID:
ワイは戦車やな
25:2015/03/22(日) 01:50:02.40 ID:
チンコ33センチてエロ漫画かな?
28:2015/03/22(日) 01:50:53.33 ID:
>>25
ギネス記録が34cmやからなあ
26:2015/03/22(日) 01:50:31.53 ID:
巨根だけが取り柄の小汚いオッサン
27:2015/03/22(日) 01:50:39.72 ID:
よく反撃できたな
29:2015/03/22(日) 01:51:41.65 ID:
青酸カリは胃酸と反応して青酸ガスが発生してそれで死ぬからな
青酸ガスが発生せんと死なない
なんかと一緒に飲んでガスが発生せんで死ななかった例が結構あるで
31:2015/03/22(日) 01:53:59.08 ID:
プーチンはラスプーチンの末裔やで
彼はなんかやってくれると信じてる  


引用元:http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1426956208/ 

0しまむらくん4

今もなおロシアの歴史に名を残す怪僧ラスプーチン。
一体どんな人物だったのでしょう。

生誕1869年1月9日
Romanov Flag.svg ロシア帝国 トボリスク県英語版ポクロフスコエ村英語版
死没1916年12月30日(満47歳没)
ロシア帝国の旗 ロシア帝国 ペトログラード
職業農民
    (ウィキペディアより転載)


1869年1月9日、シベリアの寒村ポクロフスコエ村の農夫エフィム・ヤコブレヴィチ・ラスプーチンと
その妻アンナ・パルシュコヴァの第5子として生まれる。
 

ラスプーチン出生



1887年にプラスコヴィア・フョードロヴナ・ドゥブロヴィナと結婚するが、
1892年、唐突に父親や妻に「巡礼に出る」と言い残して村を出奔した。
 
出奔後はヴェルコチュヤの修道院で数か月過ごしたが、
その際に出会ったミハイル・ポリカロポフ
に強い影響を受け
禁酒し肉食を控えるようになり、村に戻って来た時には熱心な修行僧になっていた。



帰郷したラスプーチンは、妻にすら見分けがつかない程に変貌を遂げており、
神秘的な能力を身につけていた。

彼は少年時代から馬泥棒の名を言い当てたり、
動物の傷に手を当てるだけで治癒させる特殊能力があった。

1904年、サンクトペテルブルク(ペトログラード)に出たラスプーチンは、
人々に病気治療を施して信者を増やし『神の人』と称されるようになる。
血友病患者であったアレクセイ皇太子を治療して皇后の信頼を得た。

1905年11月1日にロシア皇帝ニコライ2世に謁見。
以後、皇太子の病状が悪化する度に宮廷に呼び出されるようになり、
ラスプーチンの治療は効果をあげ、皇帝からも絶大な信頼を得るようになる。
そして宮中に名は広まって宮廷に足を運ぶ貴婦人などから人気者になる。

ラスプーチン女性に囲まれる
(女性に囲まれるラスプーチン)

ラスプーチン麻原
どこかで見たことあるような・・(;・∀・)


しかしラスプーチンは祈祷で患者を治してしまうことで医者からは懐疑的に見られ
一方ではその治療方法は患者と個室に入って2人きりで治療するというもので
貴婦人と2人で個室に入り治療と言うのは客観的に見て怪し過ぎたことから
多くの医者はラスプーチンをペテン師のように思い、反感を持っていた。

皇帝ニコライ2世の周囲の男性を中心にラスプーチンへの反感は高まっていく。
一方でニコライ2世はラスプーチンをより重用していくようになり
単なる祈祷師の身分でありながら国政のことでラスプーチンに相談するようになり
結果的にラスプーチンがロシア国政に口出しするようになったことから
皇帝周辺の人間のラスプーチンに対する批判の声が上がるようになった。
ニコライ一家
(ニコライ2世ロイヤルファミリー)

当時は日露戦争の敗戦、血の日曜日事件でロシア皇帝に対する市民の信頼は失墜
一方で皇帝一家、特に皇后がラスプーチンに接近するようになり
ラスプーチンに皇后の愛人疑惑が発生するとロシア国内に噂は拡散、
皇帝の権威が揺らいでいたこともあり、風刺的に叩かれるようになる。

そして1916年12月29日夜にラスプーチンは暗殺される。
ロシア貴族のフィリックス・ユスポフから宮殿に招待されたラスプーチン。
彼から青酸カリが入ったケーキと紅茶を出され、ラスプーチンは疑いも無く食べたが
何とラスプーチンは猛毒を盛られたにもかかわらず死ななかった。
驚いたユスポフらはラスプーチンと政治談議をしながら酒を飲ませ泥酔させる
泥酔したところを後ろからリボルバー拳銃を発砲し2発が命中。
しかしラスプーチンは起き上がった。
殺されることを知ったラスプーチンは走り出して中庭に逃げ出す。

しかしそこでも横から拳銃を一発食らって腹部を貫通し、雪の中に倒れる。
食らった銃弾は3発。
それにもかかわらずラスプーチンは起き上がったため、ユスポフは恐れをなす。
最後にはフラフラのラスプーチンを押し倒して額に拳銃を一発打ち込む。
合計4発の銃弾を浴びたラスプーチンは起き上がらなかった。
しかし生き返ることを恐れた暗殺者たちは遺体を凍り付いていた川の中に捨てた。
(しかし肺の中に水があったという証言もあり死因は溺死と考えられる。)
(つまり川の中に捨てられていた段階でラスプーチンはまだ生きていたことになる)


0しまむらくん7
こうしてラスプーチンは1916年12月30日に死にます。
しかしそこから僅か2ヶ月足らずの1917年2月にロシア革命が勃発。
2月革命で皇帝ニコライ2世は失脚してロマノフ王朝は滅亡、
後の1918年7月17日にニコライ2世ら皇帝ロイヤルファミリーは
ソビエト連邦指導者のレーニンの命令でボリシェビキに惨殺されてしまいます。
ラスプーチンの死んだすぐ後にロシアが滅亡し、皇帝一家も惨殺されるという
あまりに奇特な歴史的事実がラスプーチンの奇怪ぶりを深いものにしています。

そしてラスプーチンが死ぬ寸前、ニコライ2世に伝えた言葉があります。

私は殺されます。
その暇乞いに参りました。
私を殺す者が農民であれば、ロシアは安泰でしょう。
もし私を殺す者の中に陛下のご一族がおられれば、
陛下とご家族は悲惨な最期を遂げる事となりましょう。
そしてロシアは長きにわたって多くの血が流されるでしょう。