20140621-180513
1:2011/10/06(木) 00:20:12.08 ID:
とりあえず鳥羽伏見の戦いで逃げずに
戦うところからシュミレーションしてみてください

前スレ
慶喜が官軍に徹底抗戦したら日本はどうなった?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1226531105/
2:2011/10/06(木) 00:48:05.21 ID:
シミュレーションな
3:2011/10/06(木) 01:16:03.11 ID:
鳥羽伏見で、まず、幕府軍が勝てる要素は?
かなり、薩長は近代化してたからな
むしろ、別動部隊を慶信が率いて、大阪から、京都へ進撃し
慌てた薩長の後背をつくか、御所にはいり、居座るか。
そのうえで、新天皇をたて、江戸に連れ帰る。
そしたら、朝敵でないから、後は金で近代化を急ぐ
ただ勝ち目はなく、かえって外国の進駐を許すことになりそう
11:2011/10/08(土) 22:50:27.75 ID:
>>3
薩長が勝てる要素の方がなかった
武器だけなら幕府の方が近代化している


4 :2011/10/06(木) 02:29:37.76 ID:
太平天国の乱みたいな
民族国家として致命的な事態になってた可能性あるね。
5:2011/10/06(木) 20:18:35.01 ID:
幕府とロシアのパイプが無かったのが残念
6:2011/10/07(金) 00:19:07.73 ID:
幕府が勝負挑んで負けたんでごわそ
負けたから慶喜どんは退却したんで
7:2011/10/07(金) 22:16:59.69 ID:
鳥羽伏見での幕府軍は
淀千両松とか富ノ森で結構奮戦してましたな。
8:2011/10/07(金) 23:37:43.25 ID:
鳥羽伏見の薩長は3千程度
徳川は1万以上、海軍力も徳川が上
徳川の方が圧倒的有利
勝敗分けたのは人物の統率力の方だな
9:2011/10/08(土) 02:51:27.89 ID:
合戦の長期化で、日本が植民地にされてるか
東と西で別れたかもね。
どっち道、合戦してたら日本に良いことがない
10:2011/10/08(土) 12:17:58.49 ID:
さっさと開城したのは日本のためには英断だったな
12:2011/10/09(日) 09:13:16.80 ID:
武器は似たようなもんだろ。
13:2011/10/09(日) 09:41:45.99 ID:
幕府歩兵隊がシャスポー銃装備してたってのが事実なら
幕府のが上だろう。
というか、鳥羽伏見に出陣した幕府歩兵隊だけで
薩長の軍より多くなかったっけ。
ちょっと種本が手元にないので、具体的な数を確認できないが。
18:2011/10/31(月) 12:23:58.39 ID:
薩長が英国に干渉するなと言っており、
英国からもフランスに支援するなと話が言っているから、
よっぽど長引かない限り干渉はないよ。
>>13
当時はもう薩長もスナイドルやスペンサー銃が
ちらほろ出てくる時代。
14:2011/10/09(日) 23:11:05.69 ID:
今頃、社会主義の東日本国民として頑張っているよ。
21:2011/11/04(金) 23:45:08.30 ID:
>>14
ロシアと戦争しないだろうから社会主義は生まれない気がする

仮に幕府と新政府が引き分けになって
公武合体を成して明治維新になったとする、
米英より露仏と仲良くしてそうだ
そしたら仏露と同盟を結んで英米のどちらかと戦争したのかな
15:2011/10/30(日) 12:23:22.40 ID:
慶喜が逃げないと言う前提が無理。
そこで逃げるのが慶喜だから。

そもそも慶喜が将軍に祭り上げられたのは
母親が有栖川宮の娘で、朝廷とのつながりが強いから。
逆にいえば朝廷には逆らえない立場であり
錦旗に弓を引けるような人間ではない。
17:2011/10/30(日) 18:52:25.71 ID:
イギリスとフランスが介入し
とんでもない事になった可能性大
慶喜も十分留意してたのでそれは避けられた
19:2011/10/31(月) 23:38:08.08 ID:
官軍の勝利は避けられない
22:2011/11/05(土) 09:39:43.35 ID:
>>19
売られた喧嘩は買うべき
20:2011/11/03(木) 23:31:30.09 ID:
敗軍の将
23:2011/11/05(土) 17:00:47.69 ID:
>21
>仏露と同盟を結んで英米のどちらかと戦争したのかな

実際問題、幕府側が勝って薩長が負けていたとすると
相変わらず諸侯の統制が取れずに
国内がガタガタのまま一つの国家として
まとまりきらずに強大な中央集権国家にはなれずに
東アジアの片隅の小国のままで
推移した可能性の方が高いんじゃないかな。

当然、日清戦争が起こったとしても
勝てたかどうかわからないし、その後の日英同盟や
日露戦争の勝利なんて夢のまた夢という
状態だったんではないだろうか。
24:2011/11/05(土) 20:05:56.09 ID:
そもそも公武合体じゃ明治維新じゃないだろ。
明治維新とは統一国家の確立と国民国家の建設なんだから。
慶喜が大政奉還しといて戦うアホだったら、
徳川家そのものも全諸侯から見限られ滅んでる。
勝ったとして自分で政権返上して幕府再興目指すなんてできない。
結局国内がまとまらず戦国のような割拠時代になり
ロシアの南下にも対応できない。
25:2011/11/05(土) 22:44:57.45 ID:
質問なんですが。
なんで、幕府は開国して薩摩や長州が開国反対して
内乱起こしたのに、維新後は欧米文化取り入れたの??
矛盾してないですか?
26:2011/11/05(土) 22:52:18.27 ID:
>>25
えーっと、幕府が開国した時の長州は
「航海遠略策」を藩論とする開国派。
薩摩藩は蘭癖とまで言われた島津斉彰が藩主で開国派ですが?。
その後、長州藩は攘夷論に転換したけど
幕府の長州征伐がはじまると
外国との貿易を開始してすっかり開国派。
36:2012/04/02(月) 17:48:49.54 ID:
>>25
どっちも政治闘争上の方便として開国、鎖国を主張していることが多い。
大攘夷すら認めない人間は一人もいないが。
大攘夷じゃ生ぬるいという人間はいても。
38:2012/04/18(水) 05:32:12.68 ID:
>>25
攘夷というのは鎖国ではなくて欧米追い払う、
もしくは追い払える対等の国というのが近いな。
貿易利権はおいしいが不平等条約であり、
安いものが大量に流入したり、
必需品を大量に買われても困るわけ。
だがそういうのを調整するのが
関税とかだったりするんだけど、
幕府は関税自主権をもっておらず。
生糸などは優先購入件とかあたえて
ばんばん輸出している。
国内需要とか無視してね。
外国からの借金が多いからその資金を得るためでもある。
薩長は対等の関係を求めたわけ。
薩長が条約改正に最も力を入れていたのは知っているだろ。
27:2011/11/05(土) 22:56:48.58 ID:
ついでに言えば、幕府は開国したけどその後の和宮降嫁の時に、
孝明天皇に十年以内に攘夷しますと約束し、天下に攘夷の方針を示しています。
それに従って尊攘派は喜びましたが、幕府は攘夷を決行せず。
その後、薩摩・越前・土佐・伊予などが四賢公会義を行い、
開国路線で朝廷を説得しようとしますが、
幕府の代表である一橋慶喜や会津藩は、
孝明天皇が攘夷のご意志だからと攘夷を主張し、
四賢公会義を潰してますが?。
28:2011/11/05(土) 23:11:10.85 ID:
じゃどっちも開国派だったけど意見が合わなかったって事?
29:2011/11/06(日) 09:00:39.59 ID:
開国派攘夷派と単純に分けられない。
幕末物の作品が単純化してるだけでもっと複雑。
開国派は攘夷派じゃ無いのかと言うと違うし、
攘夷派も鎖国を永遠と守れというというとそうで無い。
開国鎖国は単なる外交政策の中の個別政策に過ぎないんで。
32:2011/11/07(月) 12:03:35.01 ID:
幕府軍の武器は薩長軍と互角、
いやそれ以上だったと主張すればするほど幕府軍の情けなさが際立つよ
宝の持ち腐れとはまさにこの事
最初の時点で勝ててるなら慶喜は逃げてないだろうからな
33:2011/11/07(月) 16:53:03.44 ID:
ひとくちに江戸幕府徳川家と言っても、
家康~家綱…直系
綱吉、家宣、家継…選挙王政時代
吉宗~家茂…紀州王朝
家茂~慶喜…幕府そのものが暫定政権化

だからな。慶喜は本来将軍になれない人なんだから、
彼が将軍になった時点で幕府の性格はかなり変わってる
横浜鎖港問題もそうでしょ
35:2011/12/26(月) 15:37:46.53 ID:
如何せん遅すぎた。
あと軍の司令官級では流石に門閥を
打破する時間がなかったのが致命傷になった。
せめて慶喜が第14代将軍になってればなぁ。
39:2012/04/18(水) 12:21:27.47 ID:
徳川幕府のままだったら日本は滅んでたかもな。
43:2012/04/20(金) 19:25:03.27 ID:
金沢潘、仙台潘が気合い入ってたら面白かったのに臆病だった
58:2014/01/06(月) 02:39:33.60 ID:
>>43
金沢が気合い入るとか絶対無理。
そもそも藩祖利家自体が賤ヶ岳で裏切って出来た藩。
秀吉死後も秀頼託されてたのにあっさり腰砕け。
幕府の顔色だけ伺ってた卑屈な家風では物の役に立たない。
今も金沢人は気位だけ高くてどうしようもない。
48:2012/04/30(月) 22:09:31.21 ID:
西周のアメリカ合衆国憲法を模した憲法によって、
徳川慶喜を大統領として東日本合衆国と、
天皇を頂いた新西日本帝国が出来ており、
アメリカ合衆国の植民地同然の東日本と、
時代錯誤の天皇制貴族国家西日本が敵対する悲惨な
日本が出来ており、最終的には植民地化されて、武器弾薬を買い込んで、
内戦に明け暮れる戦乱国家になっていたと思う。
52:2013/05/20(月) 21:20:11.86 ID:
慶喜はあっさりしすぎた
56:2014/01/05(日) 19:49:31.84 ID:
徳川体制の近代国家が生まれていただろう。
上手くいったとも思えないが。
59:2014/01/06(月) 15:10:00.00 ID:
>>56
清みたいな歴史になってたでしょうね
日本は黒船から10年ちょいで大改革をし、
有色人種では唯一白人国家に対抗するまで躍進したが
日本よりも前に黒船が来航したのに、何度か革命が起っては消え
ようやく最後は自然消滅に近い感じで清は終えたが
その後は戦国時代みたいになって、グダグダになりながらも
日本の敗戦というボタモチで統一したが、
毛沢東のおかげで世界でも最も貧しい国に転落
慶喜の意思次第で中国と似た歴史を歩んでいた可能性もあったわけだ

旧幕府が鳥羽伏見で勝っていても、
薩長は山陰に天皇連れて逃げる予定立ててたので
西日本は時間はかかるが、いづれ官軍で統一されていたはずで
しかし東日本は歴史通り1年ちょっとで終えていたとは思えず
戊辰戦争はもっと大規模になっていたのは確実
最後官軍による統一か、引分けみたいな終え方で薩長徳川での連合政権
いづれにしても明治政府最大の改革である廃藩置県、
連邦国家から中央集権になるのは時間がかかるはずで
その後の歴史がどう変わって行ったかは想像ができない
57:2014/01/05(日) 21:38:07.27 ID:
もう世論が旧体制ではいかんとなっていたから
新たな対立勢力が生まれただろうな
薩長州の残党を擁したりして
63:2014/12/05(金) 23:18:58.96 ID:
慶喜は幕府主導で工業化近代化をしようとしていた
それは旧来型の身分制封建制を自ら終わらすことになる
66:2015/01/02(金) 04:24:37.22 ID:
>>63
そのつもりだろ。

廃藩置県をして郡県制に移行し、
徳川宗家を中心とする中央集権国家を目指していた。

さらに老中に担当を決めて実質内閣制度に改め、軍艦や大砲の国産化、
旗本の元込め式銃兵化を進めていた。
いわば徳川版の富国強兵といった感じ。

それが慶応の改革。 
富国強兵は、慶応の改革で始まったと言える。


引用元:

891